これは2016年4月14日、旧ホームページに作成した記事です。
写真左が浜田城主末裔の方(認定式の様子)川原田に住んでいて、古文書があるそうです
先週日曜日に四日市市総合会館(市役所の横)で
「浜田城主の末裔を発見!四日市の城跡とその歴史」
という市民公開講座がありました。
四日市を代表する浜田城主の末裔がいたとあらば、市民として城主にすぐにでも会いたいと思って行ってきました(笑)
~30秒でわかる基礎知識~
浜田城→現在の鵜森神社。城主は浜田氏。
羽津城→阿倉川駅すぐ北の近鉄線路上。城主は羽津氏。
赤堀城→四日市赤堀。城主は赤堀氏。
浜田氏も羽津氏も赤堀氏も元々は藤原氏の出で、由緒ある名門の家柄。
公開講座では、専門的な話もあり、新発見も多かったようですが、一番へえ~っと思ったのが「四日市の城跡とその歴史」と題された講演。
四日市市に40カ所も城があったという話、知っていましたか?
講演では、1つ1つの城の現地の写真と地図を丁寧に解説。
あそこにも、ここにもあったのか!
とびっくりしたので、いまから大矢知・富田地区の皆さまにも驚いてもらいます(笑)
上の茂福城は、この地区の皆さんならごぞんじですよね?
近鉄の電車からも見えます。
左写真。
さあ、どこの場所かわかりますか(笑)
大矢知の水道施設です。
ほら、あのローソンの交差点のところ。
ここ、大矢知城。
たしかに、このあたり砦っぽく、周りの地形より盛り上がっていますもんね。
富田小学校。
いまはグラウンドが広がるばかりですが・・・
ここに富田を代表する富田城がありました。
富洲原には城は築かれなかったそうですよ。
ちょっと羽津地区になりますが、ここも元・お城。
別名の交差点と言えば分かりますか?
別名城です。
あと、蒔田には蒔田城もあったそうです。
町中、城ばかりです。
こういう歴史でも、知っていると、いつも見る風景がすこしちがってくると思いませんか。